日々の営み

誹謗中傷は傷つきます。Twitterでは文字数足りないものをここに、

わけわからん悪夢。

舞台は東京らしき郊外の学校から始まった。突然真っ黒い球体にカオナシみたいな白い顔、そして顔の球体から直接伸びる枝のように細長い手足を持った何かが人を襲い出した。真っ黒なその何かは壁や地面から無限に湧き出し自身の中に人を吸収しながら食べていき、増殖をくりかえした。

人を食って増殖した何かはオリジナルとは違いとてもねばねばしていて変形が自由のようだった。そして捕食方法も違い直接吸収でなく群体の一部を変形させた黒いもので包んでから食べるものだった。何かは辺りの人をあらかた食い尽くすと東京タワー的なものに集まり出した。集まりだすまでの数日間私は学校的な所で逃げ回っていた。

 場面は変わり黒い何かを倒そうとする人が現れた。しかしあっけなく捕食されて終わった。その様子をどこかの屋上から何かがタワーに集まりだすのとともに眺めるだけだった。 その屋上からも何かがわき続け、もう吸収されてもいいかと心が揺らぎ始めていた。するとそこに生き残ったであろう人が現れた。私は彼女にどうするのかと尋ねた所、吸収されようと心に決めたと言い、屋上から飛び降りそのまま下にいた何かに吸収された。あたりは黒い何かで覆い尽くされていて時間も夜まさに地獄だった。何故か私はこの光景を持って絶対に生き抜こうという意思が固まった。

月日は流れ廃アパートの二階らしきところに私はいた。埃まみれのその部屋は所々に小さい黒い何かもいた。私は起き上がり外に出た。そこは都会とも田舎とも言い難い住宅地の間にある商業地のようだった。そこには消えたはずの人類が多数いた。さらに商店のような建物の二階に白くなった何かがいて、それは白い塊を吹き出し、白い塊は徐々に人の形になりその街に溶け込んだ。人々はなんら疑問も抱いてない様子だった。 そして新しく変わったこの世界を少し理解した。この世界は全て生物は白い塊からなっていて生殖機能を持ったものは存在しないとう。それ以外に変わったことは少なかった。スーパーに行くと何かの親玉と思われるものに出会った。何故か私はそれと話が通じた。直接思念を共有できるようだった。私は人のままだったのか、それとも既に吸収されていたのか、疑問が生まれ起床した。

ハートキャッチ

なろう系やジャンプ系もまた面白いものが多いが、今回はそれでは無い。

 

今となっては先日ではないがハートキャッチプリキュア を全話見返した。 少しばかりのアウトプットをしようと思う。

 

この作品のテーマは多分変わるという事だろう。第一話タイトルだ。作品は36話までとそこから最終回までという2つにわけれると考える。主たるプリキュアは、作中主人公の花、2番目の海、3番目の太陽、作品の世界の中での主役の月光の4人いるのだが、1話アバンでやられた月光が完全復活するまでの36話、その後の最終回までである。36話まで、いや36話は集大成なので36話の流れに入る30話くらいまでは仲間を3人に増やしつつ、敵を撃退していく話だ。

今作の敵は人の心の中にある萎えた気持ち、枯れた心の花を取り出して、戦わせている。プリキュアは一種の心理カウンセラーみたいなものだ、萎えた心の花をを浄化していく。

戦闘は以外とガチガチでシリアスな場面もあるが青くて明るいキャラの海のギャグ要素がかなり和らげている。 それでも月光関連の話はなかなかシリアスなのは違いない。プリキュア をしていく上で月光以外は何も失っていないのだが、月光のみ目の前で自らの妖精と父親を失い自分のクローンまで生み出されている。月光だけ出る番組が違うのではないかというほど強い。生身でプリキュア 状態と互角のパワーを誇り、変身すると。他の3人の合体技より強い技を1人で出せ、敵の幹部を1人で一掃してしまう。普通プリキュアになれる人は全員変身して戦うのだが、月光が戦ってる時他の3人が変身せずただ見ていて、1話丸ごと主人公たちが変身しない回もあった。34話なんて最終決戦兵器となっている。専用挿入歌もなかなか素晴らしい。

テーマはの変わるという事だが変わるというのは過去の否定なのかという事だ過去を否定する事がなければ変わる必要はないのだから。過去を否定することは今までの自分の否定でありなかなか難しい。

今作の敵という敵はいない、3幹部は萎えた心の花だし、

 

アニメ鑑賞

 

8月の終わりだったか、お盆も終わりひと段落した頃特に何をするでもなく深夜にNHKを見ているとヒストリアプリキュア大投票の中間選挙なるものをやっていた。

 

自分がプリキュアを見たのは初代(2004)〜スマイル(2012)の間で朝アニメの流れで見ていた。

今となっては番組時間が改変されたが当時の日朝アニメは朝の7時頃から10時または9時まで、アニメ、戦隊もの、バイク乗り、プリキュアと黄金リレーがあった。

 

当時自分は朝が弱く起きるのは大体バイク乗りの頃です完全に目覚めるのは8.30だったのでプリキュアの方が記憶には残っていた。

これは完全に自己の偏見だが戦隊ものプリキュアにかけてだんだんと対象年齢の最大値が上がっている気がする。 

対象年齢自体はライダー高いイメージ、反対に戦隊ものは低めの、プリキュアは幅広いというイメージを持っている。

 

中間を見たら結果が気になるのは人間の性であるので結果発表の番組まで観てしまった。

結果自体はご存知かと思われるが、

1位ふたりはプリキュア (2004)

2位ハートキャッチプリキュア (2010)

3位YES!プリキュア5GoGo!  (2008)

4位HUGっと!プリキュア (2018)

5位スマイルプリキュア (2011)

であった。

子供向けアニメでも改めて少しばかりの知識をつけてみるとまた違った奥の深さが見えて、面白いと思える。とりあえず一番キャラ的に好きだった2位の作品を見返してみた。

 

 

 

 

 

謎の夢

謎の夢を見た。夢は覚えてないことが多いはずだが覚えていた。

 

私は用事があり第一陣ではそこに行くことは出来なかった。 午後私はもう1人と共に白い軽自動車ですそこへ向かう。 私は途中で問いかけた、今からどこに向かうのかと。

彼は答えた、あんなに人が死んでいくのを見たのは初めてだ、銃弾が飛びかい大変危険な場所だと、そして大きな車の後ろに止めるから、気をつけて出ろと。

私は忠告通り大変気をつけて外へ出た。何故か向かうべきところがわかっていた。事務所というか待合室というか、そういった類の建物に入ると、同じグループだろうか? 15人ぐらい人がいた。多分我々はジャーナリストか何かだろう。わかりやすいようにそうする。私たちはこれから戦場に向かうらしい、戦闘が行われている区画は駐車場の反対側のようだ。何故区画分けされているのかはわからない。夢だから仕方ないだろう。

出発の時間になり戦闘が行われているところへ向かった。穴の開いたコンクリートの通路を通って、隙間から見えたのは女子ゴルフの会場だった。謎だ

戦場に着くとしばらく観察していた。初めの話のように銃弾が飛び交い沢山の兵士が倒れていった。

すると、ニュースというか放送というか、が流れた。流れ弾で何人かのジャーナリストが死んだと。兵士には聞こえてないようだがそれ以外の人には聞こえていた。

目の前で手榴弾のような爆発物が3〜4人の女子グループの元へ飛んだ。爆発は小さかったが1人血を流して倒れているのを確認した。 すぐにまたニュースが流れた3〜4人のグループが被弾したと、彼女たちは20歳前後に見えた、

 

我々は緊急で撤退することになった、戦闘が激化したのだ、何故か私は武器を持っていた。私たちはばらばらで逃げた。途中で先程の女子グループが救急車に乗っているのを見かけた。 話を聞くと3人亡くなったらしい。

合流地点に着いたのはわずか3人だった。退路は既になく船で撤退する事になった。快晴だった天気はどんよりとした暗い天気に変わっていた。船は何故か半分水に沈んだスタイルの船だった。ボロボロなわけではない。  海路を通っても大きく迂回しなければならなかった。ここで地図を見て場所がわかった、愛知県沖合の海上だった。迂回して近畿へ向かう事になった。 

途中メールが我々3人の元へ届いた。もう1人から全滅したと聞いていた仲間が無事だったようで滋賀を移動中だと、 

 

起きた、眠た、

 

朝の頃合い

私は暁の時から6時ごろまでの夏は涼しげな、冬は一段と寒い時間帯が一番好きである。この時間の空気はとても静かに感じまた孤独を感じさせない。非常に澄んだ空気であり悪い気分にはならない。

この時間に起きていることは滅多にないのが難点である。

夏の終わり

今年は雨を多く感じた夏であった。

学生たちは希望また絶望そして日常に満ちた新しい学期がもう始まっていることだろう。学生を終えると夏休みという非日常はなく日常が続くのみか

何のために

宿題で書いたもの

 

 

はじめに
何のために生きるのか、これは3000年もの昔古代ギリシア哲学のころより考えられ続けられてきた問いであり最も人間的な問いの一つである。我々が行っていることそのすべては意味がないといってもいい宇宙といった巨大な視点から見ればもはや言葉ではあらわせないほどに小さい。すべてはいずれはかなく消える忘れ去られたものには意味どころか存在すら消える確かにそこに存在したものそれはあまりにも不安定で諸行無常である。意味を求めだしたら果てはない考えれば考えるほどに思考の深淵へと沈んでゆく。それは意味など求める必要がないからだ。
私がこれを考えた理由だがやはり国内の自殺率の高さそして川崎の事件などが動機となるだろう。なぜ人は自殺するのか生きたくないからか死にたいからか生きる意味がないからか人によって違うだろうそれに値する意味はあるだろう。さて1で生きること、2で様々な目的、3で絶望、4でつながり、5で胸の内に、6で考察していく。


本論
1. 生きること
我々生きている少なくともこの文章を目にしているものは確実に生きている。人間は自らの意思とは関係なく生まれる。そしてそこから生きていくのは自分の意思だ。太古の昔から生物は種を絶やさぬように生きてきた。これは種全体の生きる目的、しかしそれを個体単体で見るとまた違う。種全体から見るとその個体の果たす役割はとても小さい、だが自分のDNAを紡いでいくいくという目的があるこれはこの個体が意識するのではないDNAに刻み込まれているのだ。これには反論が出るかもしれない、そう人間だ。人間は子孫を残さない者もいる特に現代にはいって一層顕著となっている。これはDNAが目的を果たしてないということになるからだ。しかしこれは違うということが言える。普通生物は増えすぎると減るのだその要因は様々である。人間は産業革命に至るまでいや食料生産革命まではあまり増えていなかった。しかし食料生産革命は人間を生物の理から離脱させたのだ。今の世界があるのは食料生産革命あってこそだ。これらや医療の発達によって人間は減りにくくなった、だが生物の理は変わらない。人間自身によって減り始めたのだ。これは人の意思ではない。種全体の作用である。増えすぎたためにDNAの目的がなくなったのだ。今後多くの国が少子化に直面するだろう。すでに先進国とされている国々では出生率はさがっている。現代に入って人間は生きるために生きることは減ってきた自由な多様化された時代になったからこそ迷い始めた。


2. 様々な目的
さて1では全体としての大きな見えざる力の干渉について述べたが、もちろん我々個人にも意思はある。それぞれに意識してようがなかろうがなんらかの目的を持って生きている。さて、ある歌の歌詞にとても考えさせられる部分がある。それは¹アンパンマンのマーチの一節〈なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ〉である。もはやこの歌詞の中に答えのすべてが詰まっているようにも思える。応えられてこその目的なのだ。アニメを追うのもいいしアイドルをを追うのもいい趣味に生きる人も仕事に生きる人もいる。目的は人それぞれである。だが目的を見いだせない人もいる。しかし目的なんて人それぞれのとらえように過ぎない、見方を変えれば簡単に変わる、つまり考えすぎる必要なんてないのだ。アンパンマンのマーチでは目的を幸せを得ることとしている。誰もが幸せを望むのは当然だろう。


3. 絶望
我々は意志として幸せを望んでいる。しかし幸せの裏には絶望もいる。「戦争と平和」でも有名なロシア人作家トルストイかれは生きる意味を失なった。今何をしようともいずれ消えてなくなるすべて無意味に感じたのだ。死を意識したとたんすべてに意味を見いだせなくなった。キルケゴールは「死に至る病」でいった。絶望は幸福の中に潜むと。
物事とというのは比較対象があってこそ観測できる。絶望するということはその前に希望があったからだ。自殺の原因はこの先に未来が見えない、絶望したからというのもあるだろう。
いつのことだったか、楽しいままで人生を終えたいと自殺した女子学生がいた。人はなぜ自殺するのか、たいていはひと時の気の迷いに近いものがある。自分が死ぬことによっての社会への問題提起でもある。しかしいずれ忘れ去られてしまう。やはり意味なんてなくなる。死んでしまえば先はないのだ。人はずっと幸せではいれない、たとえいてもいずれそう感じれなくなる。何か楽しい時が終わるときもっとしたかったとかあの時…とか続けていたかったと思う人も多いだろう。でも誰もが知っているように物事は終わりがあるから頑張るし何かを考えるしもっと楽しむ。永遠に続く、いつ終わるかもわからないものには絶望さえ感じるのだかのエンドレスエイト期間のように。


4. つながり
人はひとりでは生きていくのが難しい他人とのつながりがあってこそなのだ。つながるためにはだれかを犠牲にすることもある。これはいじめに発展する。このことについてはここでは言及しない。人は人と話しているとき落ち着くものなのだ。それこそも意味となる。つながりをうしなえば社会的な居場所を失う、なぜなら認知されていないからだ。このつながりを構築することが一番大切なのだ。よくニュースで事件などを犯した人の家にアニメグッツなりゲームなりがあったと報道する。しかしこれが事件と何の関係があるのだ、まるでこれらを持っている人は犯罪予備軍のような扱いだ。最近こそましにはなってきているが一昔前は本当にひどかった。ゲーム脳なんていうことばもあった。だが違うのだこれらは外とのつながりを失ったものに最後までよりっそているだけなのだ。現実に満足していればゲームばかりというのはないのだ。現代に入り人とのコミュニケーション軽薄になってきている。少なくとも昔と比べれば、インターネットの普及形態の普及は遠くを近くに近くを遠くしたのかもしれない。


5. 胸の内に
世界には様々な曲がある。今回はある曲に沿って考える。まず冒頭の1節「答えはいつも 私の胸に…」これは答えである。一人ひとり思っていることはちがう結局意味付けするのは自分でありどう思うかは自分でしかないということだ。次に「I believe 真似だけじゃつまらないの」いろいろな生き方がある中で他人の真似をしていても本当の自分を出せない外面はよくても自分がよくないといけない。次に「you be right 感じるるまま感じることだけを…」自分の感じたことこれは最初に尊重しなければならない他人が何を思おうがそれはじぶんではないのだ。次に「ホントが嘘に変わる世界で」考え方ひとつで見えてる世界は一変する社会の非常識はいずれ常識にもなったりする。「夢があるから強くなるのよ 誰のためじゃない」自分の夢があるから頑張る歌詞の通りであろう。「明日過去になった今日の今が奇跡」ここはもう原作を読んでほしい。原作では一度世界がつまらないという理由で消し去ってしっまている。しかし楽しさを見出すことによってそれはおさえられている。そこには他人という存在がある。世界の始まりは一人ではないのだ。

 

6. 考察
これまでをまとめると1で全体としての意思。2で様々な目的。3で未来への絶望。4でつながり。5で意味付けをしている。結局何がためになんて人それぞれである。理由をつけるのは自分しかできない。でも一番大切なのは考えを共有できる他人を持つことだろう。世界のすべてを敵と感じてしまえばおのずとこの世界でいきれなくなる。良くも悪くもたいていの人は自分のことしか考えてないので気にする必要なんてない。やりたいようにするしかない。意味なんてものは不確実である。第一この世界に絶対なんてものはない、それでも何かにすがりたかったから絶対の他人がほしっかたから神というものをつくりだしたのかもしれない。非科学的とされているのに我々は神仏に願うのだ。


7. まとめ
この世界に理由なんてない認識できない、すべては自分の胸の内で起こっているだけ。何もかもを自分の中で決着をつけなければならない。

参考文献
アンパンマンのマーチ 作詞やなせたかし 作曲三木たかし
トルストイ「懺悔」岩波書店 1961年
キルケゴール 「死に至る病岩波書店 1957年
冒険でしょでしょ? 作詞畑亜貴 作曲富田暁子