日々の営み

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何のために

宿題で書いたもの

 

 

はじめに
何のために生きるのか、これは3000年もの昔古代ギリシア哲学のころより考えられ続けられてきた問いであり最も人間的な問いの一つである。我々が行っていることそのすべては意味がないといってもいい宇宙といった巨大な視点から見ればもはや言葉ではあらわせないほどに小さい。すべてはいずれはかなく消える忘れ去られたものには意味どころか存在すら消える確かにそこに存在したものそれはあまりにも不安定で諸行無常である。意味を求めだしたら果てはない考えれば考えるほどに思考の深淵へと沈んでゆく。それは意味など求める必要がないからだ。
私がこれを考えた理由だがやはり国内の自殺率の高さそして川崎の事件などが動機となるだろう。なぜ人は自殺するのか生きたくないからか死にたいからか生きる意味がないからか人によって違うだろうそれに値する意味はあるだろう。さて1で生きること、2で様々な目的、3で絶望、4でつながり、5で胸の内に、6で考察していく。


本論
1. 生きること
我々生きている少なくともこの文章を目にしているものは確実に生きている。人間は自らの意思とは関係なく生まれる。そしてそこから生きていくのは自分の意思だ。太古の昔から生物は種を絶やさぬように生きてきた。これは種全体の生きる目的、しかしそれを個体単体で見るとまた違う。種全体から見るとその個体の果たす役割はとても小さい、だが自分のDNAを紡いでいくいくという目的があるこれはこの個体が意識するのではないDNAに刻み込まれているのだ。これには反論が出るかもしれない、そう人間だ。人間は子孫を残さない者もいる特に現代にはいって一層顕著となっている。これはDNAが目的を果たしてないということになるからだ。しかしこれは違うということが言える。普通生物は増えすぎると減るのだその要因は様々である。人間は産業革命に至るまでいや食料生産革命まではあまり増えていなかった。しかし食料生産革命は人間を生物の理から離脱させたのだ。今の世界があるのは食料生産革命あってこそだ。これらや医療の発達によって人間は減りにくくなった、だが生物の理は変わらない。人間自身によって減り始めたのだ。これは人の意思ではない。種全体の作用である。増えすぎたためにDNAの目的がなくなったのだ。今後多くの国が少子化に直面するだろう。すでに先進国とされている国々では出生率はさがっている。現代に入って人間は生きるために生きることは減ってきた自由な多様化された時代になったからこそ迷い始めた。


2. 様々な目的
さて1では全体としての大きな見えざる力の干渉について述べたが、もちろん我々個人にも意思はある。それぞれに意識してようがなかろうがなんらかの目的を持って生きている。さて、ある歌の歌詞にとても考えさせられる部分がある。それは¹アンパンマンのマーチの一節〈なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ〉である。もはやこの歌詞の中に答えのすべてが詰まっているようにも思える。応えられてこその目的なのだ。アニメを追うのもいいしアイドルをを追うのもいい趣味に生きる人も仕事に生きる人もいる。目的は人それぞれである。だが目的を見いだせない人もいる。しかし目的なんて人それぞれのとらえように過ぎない、見方を変えれば簡単に変わる、つまり考えすぎる必要なんてないのだ。アンパンマンのマーチでは目的を幸せを得ることとしている。誰もが幸せを望むのは当然だろう。


3. 絶望
我々は意志として幸せを望んでいる。しかし幸せの裏には絶望もいる。「戦争と平和」でも有名なロシア人作家トルストイかれは生きる意味を失なった。今何をしようともいずれ消えてなくなるすべて無意味に感じたのだ。死を意識したとたんすべてに意味を見いだせなくなった。キルケゴールは「死に至る病」でいった。絶望は幸福の中に潜むと。
物事とというのは比較対象があってこそ観測できる。絶望するということはその前に希望があったからだ。自殺の原因はこの先に未来が見えない、絶望したからというのもあるだろう。
いつのことだったか、楽しいままで人生を終えたいと自殺した女子学生がいた。人はなぜ自殺するのか、たいていはひと時の気の迷いに近いものがある。自分が死ぬことによっての社会への問題提起でもある。しかしいずれ忘れ去られてしまう。やはり意味なんてなくなる。死んでしまえば先はないのだ。人はずっと幸せではいれない、たとえいてもいずれそう感じれなくなる。何か楽しい時が終わるときもっとしたかったとかあの時…とか続けていたかったと思う人も多いだろう。でも誰もが知っているように物事は終わりがあるから頑張るし何かを考えるしもっと楽しむ。永遠に続く、いつ終わるかもわからないものには絶望さえ感じるのだかのエンドレスエイト期間のように。


4. つながり
人はひとりでは生きていくのが難しい他人とのつながりがあってこそなのだ。つながるためにはだれかを犠牲にすることもある。これはいじめに発展する。このことについてはここでは言及しない。人は人と話しているとき落ち着くものなのだ。それこそも意味となる。つながりをうしなえば社会的な居場所を失う、なぜなら認知されていないからだ。このつながりを構築することが一番大切なのだ。よくニュースで事件などを犯した人の家にアニメグッツなりゲームなりがあったと報道する。しかしこれが事件と何の関係があるのだ、まるでこれらを持っている人は犯罪予備軍のような扱いだ。最近こそましにはなってきているが一昔前は本当にひどかった。ゲーム脳なんていうことばもあった。だが違うのだこれらは外とのつながりを失ったものに最後までよりっそているだけなのだ。現実に満足していればゲームばかりというのはないのだ。現代に入り人とのコミュニケーション軽薄になってきている。少なくとも昔と比べれば、インターネットの普及形態の普及は遠くを近くに近くを遠くしたのかもしれない。


5. 胸の内に
世界には様々な曲がある。今回はある曲に沿って考える。まず冒頭の1節「答えはいつも 私の胸に…」これは答えである。一人ひとり思っていることはちがう結局意味付けするのは自分でありどう思うかは自分でしかないということだ。次に「I believe 真似だけじゃつまらないの」いろいろな生き方がある中で他人の真似をしていても本当の自分を出せない外面はよくても自分がよくないといけない。次に「you be right 感じるるまま感じることだけを…」自分の感じたことこれは最初に尊重しなければならない他人が何を思おうがそれはじぶんではないのだ。次に「ホントが嘘に変わる世界で」考え方ひとつで見えてる世界は一変する社会の非常識はいずれ常識にもなったりする。「夢があるから強くなるのよ 誰のためじゃない」自分の夢があるから頑張る歌詞の通りであろう。「明日過去になった今日の今が奇跡」ここはもう原作を読んでほしい。原作では一度世界がつまらないという理由で消し去ってしっまている。しかし楽しさを見出すことによってそれはおさえられている。そこには他人という存在がある。世界の始まりは一人ではないのだ。

 

6. 考察
これまでをまとめると1で全体としての意思。2で様々な目的。3で未来への絶望。4でつながり。5で意味付けをしている。結局何がためになんて人それぞれである。理由をつけるのは自分しかできない。でも一番大切なのは考えを共有できる他人を持つことだろう。世界のすべてを敵と感じてしまえばおのずとこの世界でいきれなくなる。良くも悪くもたいていの人は自分のことしか考えてないので気にする必要なんてない。やりたいようにするしかない。意味なんてものは不確実である。第一この世界に絶対なんてものはない、それでも何かにすがりたかったから絶対の他人がほしっかたから神というものをつくりだしたのかもしれない。非科学的とされているのに我々は神仏に願うのだ。


7. まとめ
この世界に理由なんてない認識できない、すべては自分の胸の内で起こっているだけ。何もかもを自分の中で決着をつけなければならない。

参考文献
アンパンマンのマーチ 作詞やなせたかし 作曲三木たかし
トルストイ「懺悔」岩波書店 1961年
キルケゴール 「死に至る病岩波書店 1957年
冒険でしょでしょ? 作詞畑亜貴 作曲富田暁子